NHK「その時歴史が動いた」 この難を逃げ候こと 本懐にあらず~改革者・大久保利通 暗殺の悲劇~ [DVD] |
大久保利通の胸の中には西郷隆盛がいたのではないか視点を含め演出されている。
幼少の頃からの親友西郷隆盛と共に大政奉還を行い明治維新を成し遂げるが、その後西郷と征韓論で意見が対立する。西郷は故郷鹿児島へ戻り、その後西南戦争で政府と戦争を起こす。西郷と話しをしたいと願うが、かなわない。大久保と西郷との歴史の中で、お互いの志の高さを感じ、また理想の政治とな何かを考えさせられる。 |
大久保利通 (中公新書―維新前夜の群像 (190)) |
大久保利通という人物は維新政府の土台を作り上げ、その影響は現代に まで及ぶ人物であるわりに、西郷隆盛或いは岩倉具視や維新史の本に準 主役、または脇役として登場しているだけで彼の生い立ち、奔走家・政 治家としての活動をシンプルにまとめ上げた本が意外と少ない。 西郷隆盛という巨人の影にくっついて栄達したように一般的には見てし まいがちだが、それは全く違う。薩摩藩政に復活した大久保は流罪中の |
人物で読む近代日本外交史―大久保利通から広田弘毅まで |
人物で読む近代日本外交史―大久保利通から広田弘毅まで 日本の近代外交を纏めた書籍であり、こういう書籍は実は、私のような浅学のものが読んでも理解できる部分は、おぼろげな全体像でしかないことは充分に自覚しての上のことである。
歴代の外相や外交に携わってきた人物の見識よりも、私は幣原喜重郎編について深く心を揺るがした。 おそらく芦田均日記からの引用を編者は記したのだと思うが、現行憲法をGHQに呑まされ、閣議でもってこの案に調印する時、幣原喜重郎首相は言う。 「斯る憲法草案を受諾することは極めて重大の責任であり、恐らく子々孫々に至る迄の責任である。この案を発表すれバ一部の者ハ喝采するであらうが、又一部の者ハ沈黙を守るであらうけれども心中深く吾々の態度に対して憤激するに違いない。然し今日の場合、大局の上からこの外に行くべき途ハない」 芦田均氏は思わず涙ぐんだとその日記に記している。敗戦した事実の上で「この外に行くべき途ハ」なかったのである。我々後世の日本人は、この幣原氏の万感の思いを、そして芦田氏の涙をもっと深くうけとめて、今の時代を生きなければ、先人たちに対して不敬ではないかと思う。 書評としては些か、本書からずれた話になったが、本を読んで心に思ったことを書いたつもりだ。 |
大久保利通 (講談社学術文庫) |
彼に接した様々な人の証言を元にした、大久保利通の人物・業績評。これを読むと、利通の人となりは、「寡黙。威厳やこわさを感じる」「清廉潔白」「強い責任感のもとで決断する人」といったところに代表されます。また、特に行動パターンで特徴的なところは、「部下の意見に率直に耳を傾け、よしとするものは積極的に採用」し、「保守のひとではない。良いものは積極的に取り入れようとした」点にあるようです(証言が淡々と並べられているだけの構成がより説得的)。 ひとによっては窮屈を感じるほどの威厳、堅物ぶりで身の回りを律する一方、積極的に新しいものを取り入れようとした、明治の創生期(混乱期)に適したマネジメントのスタイルが見えてくるような気がします。 印象的だったのは、薩摩藩の改革時のエピソード。昔の門閥や家老を全て藩の重役から外そうとしたとき、藩主久光が大変怒り、大久保を呼び付けたが、利通は頑として応じず、藩主は烈火のごとく怒って「系図もなにもこうなっては用がないから、焼いちまえ」と言ってブルブルふるえたそう。それでも意志を貫いたということは、自己の利害関係よりもマクロの藩や日本の利害を優先させる強い意志があったからなのでしょう。上司に弱いサラリーマンとしては、時として見習うべき姿勢、と感じます。 |
THE BACK HORN 歴史紀行「光舟街道をゆく」リターンズ
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