復元 幻の「長時間レコード」山城少掾 大正・昭和の文楽を聞く |
近代義太夫節の頂点をなす豊竹古靭太夫(のちの山城少掾)の義太夫節は、現在、大正期のニットーレコード,昭和戦前のビクター,終戦直後のコロムビアなどによって、多くの曲を一段丸ごと省略なしで聴くことできる。このことは実は一種の奇跡であり、僥倖である。とくに大正期の録音は、壮年期の古靭を知る貴重な資料であるだけでなく、語り藝としての義太夫節の奥深さを味わうことのできる最高の標本である。
ニットーレコードは、大正から昭和初期にかけて、古靭太夫の義太夫を、名人三世鶴沢清六の絃により、あるいは新左衛門、芳之助、四世清六によりつぎつぎと発売した。そのいくつかは平成初期に国立文楽劇場の「義太夫SPレコード集成」として復刻されたことがあるが、今回はじめてCD化されたのは、大正15年から昭和2年にかけて発売された「幻の」長時間レコードを媒体とした「沼津」「熊谷陣屋」「三浦別れ」の3段である(絃は四世清六)。 “長時間レコード”の詳細はCD付録の解説に譲るが、現在あるSPプレーヤーでは再生することができず、さればこそ「幻の」音源であって、筆者もこの音が聴けるようになる日を20年以上待ち続けてきた。CDのパッケージを手にしたとき、まことに夢のような感慨を味わった。ちと話が大げさで恐縮するが、義太夫愛好者にとって、数少ない古靭太夫の録音はまさに垂涎の宝なのである。このようなCDを出していただいて、紀伊国屋書店さんありがとうございました。 このCDを聴いて、まず音質のよさに驚嘆し、製作者のこだわりを感じた。もちろんいずれの曲も古靭の義太夫が実に面白い。あれこれと余計なことを書くよりも、ぜひ一度聴いて、みずからの耳で確かめられることをお勧めする。 なお、長時間レコード以外のニットー盤は、前述のようにその一部が国立文楽劇場の資料集として少部数頒布されたが、今ではまったく入手できない状態にある。これらの復刻をぜひともお願いしたいところである。 |
死ぬほど好き (バンブー・コミックス麗人セレクション) |
すでに独自の世界を構築されているベテラン作家さんなので、コメントするのも今さらですが…面白かったです。 標題作よりも、ちょっとくたびれた年上の男と自分がイイ男だと自覚している新人の、サラリーマン同士を描いた「明烏」「夢泡雪」がよかった。 真剣に踏み込んで傷つくほどには若くない、と引いている年上。プライドが高いだけに、自分の気持ちに気付かないままイラつく年下。 ユギさんの描かれるこういう少し暗い、屈折した関係の話が大好き。もちろん最後はハピエンがいいのだけれど。 そういう長編がまた読みたいな。 |
うつぼ舟I 翁と河勝 |
日本書紀によれば秦の始皇帝の子孫と伝えられる秦氏は、応神天皇の14年に百済より渡来し、優れた養蚕技術で仁徳天皇の御代に素晴らしい絹織物を生産したために「波陀」、雄略天皇の時代には、「うずまさ」の姓をたまわり、現在広隆寺がある葛野を拠点に京都盆地全体で隆盛を極め、京都文化の基礎を作ったといわれている。 現在、秦、波多、羽田、八田、矢田、波多野、幡多などの姓を持つ者の多くはこの秦一族の子孫であり、機織りから転訛した服部、一族の秦河勝にちなむ川勝の姓を持つ人もこの偉大な一族の末裔である。ちなみに私の丹波の郷里は古代からこの秦氏の一大根拠地であり、偉大な養蚕家にして基督教者、波多野鶴吉翁が創立された郡是製糸の本社もこの地にあった。 さて聖徳太子の政経ブレーンとして活躍した秦河勝は、太子一族の没落後、藤原鎌足の陰謀によって流罪の身となり「うつぼ舟」に乗って西海を漂い、播磨の国坂越に漂着し死後は大荒大明神として祀られた。 河勝には3人の子があり、1人は武を、1人は楽を、もう1人が猿楽を伝えた。武を伝えたのは大和の長谷川党で、楽を伝えたのは河内の四天王寺の伶人、そして猿楽を伝えたのが円満井の金春大夫である。世阿弥の娘婿金春禅竹は、秦河勝から数えて40余代の孫であるから、秦河勝は能の創始者といわれている。 また著者によれば、秦河勝は日本最初のキリスト教信者であり、彼の庇護者であった聖徳太子もそれに影響されたと思われる。ペルシアのササン朝に保護されたネストル派のキリスト教(景教)は当時ペルシアから中国在住の中国人(秦人)に広まり、それが朝鮮半島を経由して日本の播磨の国坂越に上陸してそこにダビデ礼拝堂が建てられた。それが現在の大避神社で、古来から存する井戸はヤコブの井戸であったと考えられる。 なお著者は、このキリスト教伝来と同時に、あの謎に満ちた摩多羅神も輸入されたのではないかと考えているようだ。 ♪キリストも釈迦も太子もモハマドもアジアの果てにて悟達せし人 茫洋 |